2013年9月4日星期三

翻譯日和│通往極樂世界的吉原大門







原文﹕大門(おうもん)
     落語等でおなじみの吉原を紹介いたします。
     まず大門です。後ろにちょうちんをずらりと並べた店が見えます。
また門のアーチの左には柳の木が見えます。もしかして見返り柳でしょうか。大門には番所があり、番をする人が詰めていたそうですが、写真には写っていないようです。
    吉原歓楽街への正面玄関で、出入はこの大門一箇所のみとされました。
     江戸時代には木造のアーチ型楼門でしたが、明治期にこちらの豪華なアーチとなりました。
     このアーチは鉄製です。実は明治44年(1911年)に、一帯を焼く大火災が発生、その熱でこのアーチがぐにゃりと曲がってしまった写真が絵葉書になっています。鉄製はアーチ部分だけの様でした。その後の大門は大きな柱の上に大きな電灯を乗せたものになったそうです。
ちなみに、その大火はよほど世間の耳目を集めたのでしょうか、吉原大火シリーズの絵葉書がいくつもあります
その中には、燃え上がる建物と、それを直ぐ傍で見物している野次馬を写した物、さらに遊女の遺体が写っている絵葉書もありました。遺体を絵葉書に、というのは今日の感覚ではちょっと考えにくいものでもあります(流石に購入していません)。

翻譯:大門
   落語等表演藝術經常介紹吉原,先由大門開始。

   後方可見店舖排得密密麻麻的燈籠,而且拱門的左方有柳樹,或許就是「回望柳」( 註1)吧!

   大門有門衛亭,門衛亭應該擠滿門衛,然而相片看來拍不到。

   通往吉原歡樂街正面的出入口,只有這個大門作為玄關。在江戶時代是木造的拱型樓門,到明治時期才成為相中設計豪華的拱門,這個拱門是鐵製的,其實在明治44年(1911年),這一帶發生火災而燒毀,這幅印製成明信片的相片中,拱門就是因為熱力而變得彎曲及只燒剩鐵製部分。大門之後巨大木柱上應該掛有電燈。

    順帶一提,這場大火備受注目,坊間有數套以吉原大火題材為系列的明信片。其中影像有燃燒的建築物及在旁看熱鬧的路人,更有拍攝妓女遺體影像的明信片。以遺體照作為明信片的設計,以現今的感覺是有點難以想像的。

註1﹕回望柳(見返り柳)是指歸家恩客經過柳樹,被垂柳輕拂髮尾而回望吉原,同時產生依依不捨之意,所以稱為回望柳,同時成為吉原遊廊的風景。

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