原文﹕新吉原 花魁道中 角海老棲 紫
今回掲載しておりますのは、新吉原と呼ばれた浅草のものです(ちなみに日本橋にありました方は元吉原)。
さて、花魁道中(おいらんどうちゅう)を撮影したもので、沢山の見物人と、交通整理をしていると思われる警官風の人物が見えます。また、花魁名物は名物の高下駄を履いています。美人に見えますが、皆の視線は高下駄に注目しているみたいです。左奥、遠くにも見物人が居ます。
さて、花魁道中(おいらんどうちゅう)を撮影したもので、沢山の見物人と、交通整理をしていると思われる警官風の人物が見えます。また、花魁名物は名物の高下駄を履いています。美人に見えますが、皆の視線は高下駄に注目しているみたいです。左奥、遠くにも見物人が居ます。
譯文﹕新吉原 花魁道中 角海老(註1) 紫(註2)
這次刊登的是在淺草區叫新吉原的地方(順帶一提日本橋附件一帶是舊吉原)拍得花魁巡行的相片中,有很多人看熱鬧,亦有像警察人物在管理交通,還有可見花魁穿著標誌之一的高底木屐。雖然花魁是美人,但眾人視線似乎看著高底木屐。左手很遠的後方,亦有看熱鬧的人。
註1﹕「海角老」是吉原三大老舖之一
註2﹕紫的真名為勝田信子,10歲前在大阪已經賣身,滿16歲時被賣到江戶新吉原海角老,17歲時以「若紫」名字亮相,以美貌及知性而有很高身價。明治36年(1903年)被一名精神錯亂客人持匕首刺死。昭和12年(1937年)永井荷風以她的故事寫成《斷腸亭日乘》的《若紫塚記》。
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